そんな男子バレーボール界最大の危機からの復活を任されたのが、バルセロナオリンピックで全日本男子チームのキャプテンを務めた植田辰哉監督だった。
2004年のアテネオリンピック最終予選後の2004年11月26日、植田監督率いる植田ジャパンの誕生。ここから全日本男子復活をかけた厳しい戦いが始まった。植田監督は世界と戦える強靭な肉体と精神力を選手に求めた。体力の限界を超えるまで行なわれるトレーニングの連続に、練習後選手たちは会話する気力すら残っていなかった。どんな状況にあっても決して妥協は許さず厳しい練習を選手に課し、勝ちにこだわる闘志を監督自らが背中で教えた。強靭な身体を造るために、栄養士をスタッフに加え、食事から徹底的に管理した。体力強化指導の中心には長野オリンピック・ボブスレー日本代表として戦った経験のある大石博暁氏を向かえ、選手達の身体を一から鍛えなおした。トレーニングの結果は目を見張るような体力測定の数字の伸びで現れ始める。ジャンプ力が10cmも伸びた選手もいた。その厳しいトレーニングや練習を引っ張ったのが荻野正二キャプテン。現役選手の中で唯一オリンピックを経験した選手であり、かつて植田監督とはバルセロナオリンピックを共に戦った。そのベテランキャプテン自ら、トレーニングの記録を更新し、苦しい練習では必死に声を出しチームの士気を高めた。

  植田監督、そして選手達の血のにじむ努力は、結果となり実を結び始めた。2005年アジア選手権優勝、2006年24年ぶりの快挙となる世界選手権ベスト8。全日本男子に再び光が差し始めた。2007年のワールドカップでは9位にとどまったが、石島雄介、越川優という高い身体能力を持つ両エースの活躍に加え、2003年ワールドカップではMVPに輝いたスーパーエース山本隆弘の復活。現役大学生ながら日本人離れした大型サウスポー清水邦広が新たな得点源となるなど、今後の戦いに期待が高まった。

 そして迎えた2008年オリンピックイヤー。すべては北京オリンピック出場のために。全ては強い全日本男子復活のために。植田ジャパンの魂の戦いが今始まる。